仕事で遅くなって上映時間を回ってしまっている、でもどうしてもあきらめきれない、そんな思いからジャック&ベティへ走って向かった「EDEN」。
あの時あきらめなくて良かった!
映画も音楽も想像以上で、パンフレットもiTunesでサントラまで買ってしまった。
主人公のPaulと私はほぼ同世代。
そのせいか、音楽や時代の移り変わりや、パリの街並みの変化にひたすらノスタルジーを感じる映画でした。
当時好きだった懐かしい曲がかかるたび、特にクリスタル・ウォーターズの「Gypsy Woman」はライブを観に行ったほどだったし、ちらっと掛かる「Around the world」(アーティスト名は忘れちゃった)は一瞬にして当時にタイムスリップしてしまう。これだから音楽ってすごい!
DJとしての人気がいつまでも続くと信じて、30歳を過ぎてもドラッグと借金から抜け出せず、自分たちの音楽を追い続けるあまりにいつしか時代遅れになっていく。
主人公が34歳の頃、船上でのカウントダウンパーティーにもかかわらず客はまばら。むしろセーヌ川で踊って騒いでる方が賑やかで、Paulが「くそっ、サルサめ!」とつぶやく場面があります。
ちょうどその頃私もサルサを習っていて、パリに行くとサルサのCDが揃っているCDショップに寄ったもの。
それだけに、彼の音楽が時代遅れになっていたのも容易に想像がつきます。
過去の恋人たちが自分の元を去って小説家になったり、結婚したりと一歩踏み出しているのに比べて、自分だけが卒業できずに取り残されていく。夢を追い続けることは哀しく、さびしい人生なの?
夢をあきらめて堅実な道を歩もうとするPaulが出会う、アメリカの現代詩人「ロバート・クリーリー」の一節。
Paulの中で何かが変わりだす瞬間。このシーンすごくいい!
すべてはリズム
閉まるドアから開く窓へ
季節 太陽の光 月
海 成長するものたち
人の心もまた
新たに再生する
終わりは終わりでなく
時は遡る
ある人は死に 別の人が来る
私が死んだら
命もまた死んでいく
そして妻は泣き 死ぬ
小さな子は老人になり
草は枯れ 力は消える
けれども また始まる
私ではない 私ではないけれど
それもまた死ぬ
リズムは連続を映し出す
すべてを力で従えて
窓からドアへ 天井から床へ
開けば光 閉じれば闇ジャック&ベティで上映される映画はマニアックなものが多いせいか、上映後の観客の顔ぶれを見るのが癖になっている。
この日は明らかに上の世代のご夫婦や、劇中に掛かる音楽には関心が無さそうな女性客などなど、この人たちは「恐ろしくつまらない映画」と感じて、ううん、もしかしたら2時間ちょとが苦痛だったかもしれない。
私の映画を観るときの選び方。
あれもこれも求めずに、今日は映像を楽しもう!、今日は音楽を楽しもう!とテーマを決める。
そうすると想像以上に楽しめて、人がどう感じようとも自分にとってのとっておきの映画になることだってある。
「Eden」もまさにそんな映画で、映像、音楽ともに若い頃と行き来しながらその頃の空気感も味わえる、お気に入りのひとつになりました。